犯罪者の娘と呼ばれて

ふいに付けたテレビであるものを観ました

「人殺しの息子と呼ばれて」という番組でした

北九州連続監禁殺人事件の被告人の息子が過去を語るというものでした

 

私は学校帰りでご飯を食べていたところでした

たまたまつけたテレビ

ふと映る息子の卑劣な過去

それらが自分をこんなに苦しめるとは

 

食事に気を取られていて最初はなんの話か分かりませんでした

「虐待」という言葉が耳に入り、箸を止めました

自分と同じ境遇なのか

ただそれだけが気になりテレビに釘付けになりました

 

彼の両親は北九州連続監禁事件の犯人

彼も両親から虐待を受けていたそうです

虐待の内容はそれほど深くは覚えていませんが、ネグレクトや通電などがあったらしいです

 

また、彼は児童養護施設出身で、小学校高学年から学校へ通い始めたらしいです

最初は人との関わり方がわからず、ドッジボールをしていた同級生を見てもルールがわからなかったそうです

「ボール当てられただけでなんで線の外に出なきゃいけないんだ」

といったようなことを言っていました

私もドッジボールだけでなく、同級生の子らがやってるもののルールが全くわかりませんでした

 

また、彼の養護施設での初めての夜ご飯はレトルトカレーだったらしいです

私もとある施設に保護されたときの夜ご飯はレトルトカレーでした

 

妙に親近感が湧きました

次第にこの人と話してみたいと思うようになりました

 

しかし、途中からいろいろ自分のことがフラッシュバックしてしまいテレビを消してしまいました

あのときはひどく後悔しました

自分も社会に出たら、高校を卒業したら、周りからの目を気にして生きていかなきゃいけないのだろうか

 

自分の父は犯罪者です

このことは死ぬまで隠し貫こうと思っていました

それを告白すれば私に対する態度は豹変するだろうから

きっと仲のいい人達だって私から距離を置くだろうから

他の人を巻き込まず自分が苦しんでその過去を背負う覚悟をしなきゃいけないから

 

今でもそう思ってしまっています

しかし、高校3年生の今、そんな事実どうでもいいのだと誰かに肯定されたかった

私は初めて、母や妹、施設の職員以外の人にこの話を打ち明けました

 

とある日の夜中、このようなことを伝えました

「自分は犯罪者の娘で、過去には身体的にも性的にも虐待を受け、施設にも保護され、学校にも虐げられた

それでも私とこれからも関わってくれるだろうか」

 

ただ肯定されたかった

自分の当たり前な過去

自分では当たり前すぎて誰にも言えなかった

 

その人は今でも私と関わってくれています

このブログを投稿し始めたのも彼がきっかけです

 

ただ、自分には引っかかることがひとつ

父は今どこで何をしているのか

 

父も親である以前にひとりの人間

自分は虐げられた存在ですが、憎めはしません

幸せでいてほしい

でも私の人生には足を踏み入れないでほしい

 

受験生の今、それについて考えなければいけなくなりました

私は父に追われてる身です

そのせいで自分の志望大学を受けることはできなくなりました

父に見つからないくらい遠くに進学してくれ、と言われました

 

私が

「父は今も刑務所の中にいるのか」

と聞いても誰も何も教えてくれはしませんでした

彼がなぜ裁きを受けているのかすらもわかりません

 

彼は覚せい剤常用者でしたし、虐待もしていました

人殺しの犯罪者の息子の証言を聞いて、私の父も虐待が原因で捕まったのかなとも思いました

父に殺されるとまではいきませんでしたがその手前の状態ではありました

 

今となっては知る由もないのかもしれません

もう何も知らずに生きていくしかないのかもしれません

 

毎晩父との日々が蘇って自分が嫌になります

自分が嫌になって泣き喚いて寝る

そんな毎日が嫌になりました

 

ただこの過去を受け入れてくれる人がいた

それだけで自分は報われた気がしました

 

ブラック教師

最近学校に行くとよく言われることがあります

 

「すっごい痩せたね!」

「ちゃんと食べてる?」

 

先生方、友達などに言われますが

ただ1人として例外がいます

 

担任です

 

例えば将来のこと、奨学金や進路について、面談をしているとき

 

「それだけ元気に話せるんだから、つらいはずがない」

 

「本当は元気だろ」

 

「朝から学校も来れるやろ」

 

などと言われます

 

もはやブラック企業と同じような手法のように感じます 

 

今は体調・精神ともに不安定で、午後から学校に通っている状況です

しかし、担任には「そんなにむきになって話すことが出来るんだから、元気なはず」と捉えられているようです

いったい、どこの世界に自分の将来について我を忘れて話せなくなる人がいるのでしょうか

そもそも、精神を病んでいたら、話すことさえ許されないのでしょうか

 

必死に、前向きに将来を考えているはずが、

担任には、仮病だと思われているのでしょうか

 

実際に、医師やカウンセラー、養護施設の方が直接学校に出向いて、私の今の状況を話してくれたこともあります

しかし対応が柔らかくなるわけもなく、いつもと変わらない言動です

いや、前よりも傷ついたのかもしれない

 

自分の頑張りが認められていない

そう感じました

 

洗脳されているのでしょうか

自分がおかしいのか、担任がおかしいのか、わからなくなるときがあります

 

泣ける場所もなく、いつも笑ったフリでごまかす

だから、こうやって言われるのでしょうか

 

養護施設出身であるということすら、担任には「状況がわからない」とあまり受け入れられていないようです

(何度も面談にて話しています)

 

担任が口を酸っぱくして言っていることがあります

「わからないことはすぐ調べろ」

です

 

私も担任に教えてあげたいです

 

わからないことがあるなら、ネットで調べましょう!

 

それが喉に引っかかって出てこない臆病な私です

 

 

不登校が先か 病気が先か

先日のブログhttp://reee113.hatenablog.com/entry/2017/09/02/014604

では思っていた以上に反響が来たのでびっくりしました

できればこのような事実がもっと広がって、そういう暮らしをしていた子も普通に暮らせる世の中になればな、と思っています

 

まあそんな状況の中で高校に通っているわけですが、最近は不登校気味です

小さい頃からそうだったのですが、中高しか通ってないということもあり友達ができない

それ以上に「理解されない」というものがあります

 

一つに、私の身体的な持病です

喘息です

しかもめちゃくちゃ重いです

高校に入るまではよく入院させられてました

しかし私自分で言うのもあれですが、運動神経めちゃくちゃいいです

父親の暴力をかわすことに8年間を費やしたのでそれなりの瞬発力があります

おかげで陸上やバスケなどといった部活から勧誘を受けることもありました

 

ちなみに中学校では先生に恵まれ、理解してもらえました

ここら辺まではよかったのですが、高校に入ってから、複雑なことになります

 

高1のときは喘息ということで走る系のスポーツは見学でした

点数も一応もらえました

 

高2から先生が変わりました

その先生は「喘息なんか根性でどうにかなる」という先生でした

かなり苦しめられました

脚は速い方なので走れるは走れるのですが、そのあとの反動が辛い

走った次の日から3日間は動けなくなりました

不幸にもその先生は副担任だったのでこっぴどくしかられました

ちなみに診断書も出したのですが全くの効果なし

高3になってからも同じ先生だったので本格的に体育の日を休むようになりました

※診断書もだしています

一応単位が取れるラインまでは出席したのですが、単位落としました

結局それで怒られることになり喘息のことを出しても無視されました

 

 

それから、私の過去と精神病についてです

母から追い出されるということもあり、よく学校を休むことがありました

また虐待や施設ぐらしということもあり、ADHD 強迫性障害 PTSD 睡眠障害などなどと診断されています

 

休む度に担任はなにか聞いてきます

 

高1のときは担任に恵まれ、理解してもらえました

精神病についても喘息についても相談に乗ってくれました

当時、私が医学部を目指していたということもあり、進路の相談にも乗っていただけましたし、不登校ながらも成績はほぼ常にトップを維持してきました

なので、素直に応援してくれました

 

しかし高2から不登校気味になりました

担任がとてつもなくきつい

昭和時代の教師、という感じです

喘息も精神病も施設のこと全て否定されました

 

「精神病は甘え」

 

「精神科に行くだなんてよくも恥ずかしい事がいえるな」

 

「喘息でも授業は受けれるだろ?」

 

「その安定剤ってさ、偽薬でしょ?」

 

「施設って嘘でしょ?そう見えないもん」

 

それらの言葉は私の心をグサグサと刺していきました

高2,3年と同じ担任なので、今も続いています

正直すごくつらいです

ADHDは先天性ということもあり、抑えるために辛いけれどコンサータストラテラなどを処方しなければならないし

強迫性やPTSDについては自分自身も本当に困っています

精神科にも通い、薬も飲み続けています

それでも否定されるのだからもうどうしようもない...

それから登校拒否するようになりました

すると、「それって病気だぞ」

と言われるようになりました

 

ADHDについては生まれた時からずっとこんな感じですが、PTSD強迫性障害には波がありました

気のせいかもしれませんが2,3年生になってからは強く出るようになっている気がします

 

自分の過去について、自分自身が周りにこういった形で知らせようと思った出来事があります

高2の頃です

その日、1週間ぶりに学校に行きました

案の定担任に呼び出され、小部屋に連れていかれました

2,3時間ほどでしょうか

完全下校時刻も過ぎているのにそこに閉じ込められていました

そこで初めて精神病について問い詰められました

「お前はおかしい。病気だろ?」

と言われ、黙っていると問い詰められてこっちも限界だったので、病名だけを言いました

やはり理解されなかった

そのあと何故か私の過去になりました

先日のブログのような内容のことを言いました

否定されました

嘘だと言われました

正直ショックでした

私にとってはこの過去は恥ずべきものでも悔やむべきものでも無かったからです

その時思いました

私は社会的に普通ではないと

話はそれで終わりません

それからも問い詰められました

そこで父のことや施設のことがフラッシュバックし過呼吸になりました

それでも担任は外には出してくれませんでした

それから先は泣きながらどこか死に場所を探していました

それから先は覚えていません

 

そんなこんなで精神病は理解されません

クラスメイトもそうです

 

先日、卒業アルバムの特集で小さい頃の写真が必要だと言われました

あぁ...小さい頃か...

写真なんて、ほとんどない

それに見たくもないです

今の自分は過去にされてきたことが虐待だと知ってしまったから

昔までは父の愛情だと感じていました

誰かから教えてもらってそれは虐待だと知りました

知ることは怖いことです

無知はしあわせなのかもしれません

 

まあそういうわけで写真を学校には持っていけませんでした

1週間ぶりに学校に行くとやはりその事を言われました

理由を説明しようと思い「アルバムがないんだ」といいました

そのあと担任のようにしつこく責められました

仕方なく「施設ぐらしだからない」

ということにしました

そのときの差別的な目、今でも脳裏に焼き付いています

高校自体、偏差値も高いし金持ちが多いのでやはりわたしは理解されないのでしょう

 

嘘だ、そうすれば許してもらえるとおもった?

 

と言われました

咄嗟に虐待されていたこともいいました

真実を簡潔に話しました

言ってから後悔しました

でも、すっきりしました

 

そのあとはその女子達に目の前で罵倒されました

その後の授業はずっと泣いていました

教科科目の先生も気づいたのでしょう

授業中、何かと目配せをしてくれました

ただただつらかった

 

おかげで夢では同じような光景、起きてるとフラッシュバック

最悪です

カウンセラーの方もなぜか増えました

受験生なのにこんなことしてていいのでしょうか

当初トップだった成績も真ん中くらいまで落ちました

 

ここからは余談です

一つだけ人よりも得意で誰にも負けない科目がありました

国語、特に現代文です

私自身、注意散漫で文字が読めないのですが、1回読むだけで理解して問題を解くことが出来る、という特技がありました

ADHDでいう過集中のようなものでしょうか

自慢に聞こえるでしょうが、今までのテストは現代文は毎回1位です

マーク模試は満点以外取ったことがありません

記述もほぼ満点です

そのような成績にも関わらず、授業の出席率や課題の提出率(ADHDのせいにするのもあれですがどうしても出せません)のせいで3年生の成績は毎回ほぼ最下位でした

それに納得がいかない、というか自分の努力はなんだろうという気分になり、学校の存在意義について考えるようになりました

 

また、多動も不注意も衝動もバランスよく出るタイプの典型的ADHDらしいのですが、授業中座ってられません

授業をきいてるつもりなのにきいていないと怒られます

あと取り掛かりもめちゃくちゃ遅いですし、いつも頭の中がごちゃごちゃです

そのせいでよく怒られました

 

そういうこともあり学校に行きたくないです

 

勉強はしたいんです純粋に

でもこうも責められたら精神がもたない

責められる度に苦しさは増します

不登校になれば病気だといわれ、

病気だと言えば理解されない

 

教師だからこそ理解するべきではないのでしょうか

クラスメイトを責めるつもりはありませんがどうしてあんなに私を冷酷な目で見つめるのでしょうか

あんなに仲が良かったのに

 

そういえば最近は施設出身の人向けの奨学金が増えました

そのことも担任にも伝えました

がんばれ

ではなく

「へ〜 施設出身だとそんな特典がついていいね」

といわれました

 

腹が立ちました

私が

つらいおもいをしてきたのに

それを特典だというのですか

わたしは今までの学費は自分でまかなってきました

小学校も通っていないけれどトップレベルの進学校にも受かりました

誰よりも人生をまっとうに生きている自信があります

人生の、父親によって失われた8年間が何かで埋めなければならないというのは普通だと思いますし、それだからこそ、それを支援するからこそ奨学金があります

それなのにそれを「特典」だなんて呼ぶ人間に物を教わりたくありません

こちらから言わせてみれば対価です

お金じゃ払いきれないほど辛い思いをしてきました

 

たこれも不登校の理由に繋がります

 

駄文ではありますが、これが今の心情です

このようなことがマスコミなどの目に留まればなぁ...

そんな非日常なことを思う不登校の独り言でした

 

 

児童刑務所

私は17歳の女子高校生です

これだけ聞くと華々しいように聞こえますが実際にはかなりの苦労をしてきました

これを見て気分を害されたりしたらすみません

あくまで私の経験と考えです

しかしできればできるだけ多くの方に虐待されてる子供の気持ちや児童相談所の実情を知ってほしい

忙しい方は最後の方だけでも構いません

自分の経験を述べてから考えなどを述べます

ご了承の上でお願いします

 

 

私は比較的裕福な家庭に生まれました

父は国立大医学部、母は外国からの留学と字面だけは素晴らしいものだと思います

だが、父は大学中退、母は途中から水商売とだんだん状況は悪くなってきました

 

私自身できちゃったという感じで生まれたので、最初は祝福されましたが後々父からの暴力、育児放棄と絵に書いたような虐待を受けました

父は母にも暴力を振るい、私が2,3歳の頃に出ていきました

その頃妹が生まれました

それからというもの、私と妹と父の3人ぐらしでした

私は毎日父からの暴力を受けました

殴る蹴るは当たり前、ゴミ袋に入れられてゴミステーションに捨てられたことも、風呂に沈められたことも、根性焼きも、性的虐待も、髪を抜かれたり、薬で遊ばれたりすることもされてきました

食事もいつも1日100円を渡されるか渡されないかくらいだったので、毎日パンの切れ端やコンビニのおにぎりを食べるか何も食べないかの二択でした

また私は持病がありたびたび入院することもあったのでそのときは「生きている」と実感することが出来ました

寝て起きればご飯が出てくる、当時の私にはそれが特別なことに思えました

だが病院から出ればまた虐待です

当時は父以外に話せる人もおらず、されてること自体虐待だとはわかりませんでした

子供というのは所詮大人から教えてもらった概念を自分の中に蓄えていく存在です

私には虐待が"当たり前"でした

 

小学校に入ると小学校に通わなければなりません

私は通わせてもらえませんでした

そのせいかはわかりませんが時々役所の人間が私の家を訪ねてきました

この家が私のお城、王様は父親という状態だったので出ることもできず、1日1日すぎていきました

 

父方の祖父だけは私の味方でした

祖父は私に会う度に本を与えてくれます

工学の本、宇宙の本、医学書、漢字の本、生物の本、図鑑

3歳の頃から読んでいましたが難しすぎた

しかし勉強することだけが生きがいでした

それに勉強ができると父は褒めてくれる

なぜかそのためだけに生きていました

 

さて、私が6,7歳の頃でしょうか

家出していた母が自宅へ帰ってきました

そのときちょうど私は祖父に連れられて外に出ていました

家に帰ると両親が喧嘩していました

警察も呼ばれていました

その次の日私は一時保護所というところに保護されました

ここら辺はいろいろと知ったことがあって混乱していて記憶がありません

一つあるとすれば役所の方から「あなたがされてきたのは虐待なのよ」と言われたことです

正論は狂気とはよく言ったもので、私の心を引き裂きました

おかげで保護所の中では誰とも喋らず、食べずの生活でした

 

ここで人生の転機があらわれました

保護所には大学の先生がきて、子供に勉強を教えます

当時のわたしは小学1,2年生程度

初めて人からものを教わりましたが足し算や掛け算などの四則演算、今でいう高1くらいまでの数学や理科は祖父の本のおかげでなんとなくできていました

その先生からは「君は頭がいいからきっとこの先も大丈夫だ」と言われました

 

保護所には1ヵ月ほどいました

それからは妹と母とで田舎の方の母子寮に移されました

ようやく学校へ通えるようになりました

初めての制服、ランドセル、教科書、グラウンド、やはり本で見るよりずっとすばらしい

そのことは今でも覚えています

友達もすぐできました

勉強も誰よりもでき、いつも誰かに褒められていました

そんなこんなでいわゆる陽キャラとして小学校時代を過ごしました

私の小学校では児童会というのがあり、会長も務めました

 

小6の頃、全国テストで満点をとりました

それをきっかけに私立中へ行かないかと担任から持ちかけられました

行きたいとは思いましたがなんせ母子家庭で施設ぐらしです

母にそんな苦労をかけるわけには行きません

そんなこんなで公立の中学に進みました

 

中学生の時母子寮を出て自立しました

中学も変わりました

その中学でも成績はずっと1位でした

テストはほぼ満点

漢検準1級や英検準2級をそのとき取得しました

自分でも自分を天才だと過信していました

中3の受験期、どうしても都会の私立高校に行きたくなりました

そのときから父の夢を追いかけるように旧帝大医学部を志していました

しかし現実は厳しい

お金がなくて私立の受験すらできませんでした

私は渋々県で一番の高校へいきました

この頃から母がなぜか私へ暴力を振るうようになりました

 

高校ではトップの成績を維持しながらバイトを3つ掛け持ちしました

学費を稼ぐためです

学校では禁止されていましたが仕方がありません

しかし友達からの理解は全く得られず馬鹿にされていました

 

高校も中学も様々な奨学金をいただきながら貯金してきました

養護施設出身ということもあり、そういう意味では私は貰える金額が大きかったのですが、ほとんどの奨学金が自分の生い立ちを書いたり面接があったりしました

自分のこの経験が世間から受け入れ難いものだということはよくわかっていたのでいつも当たり障りない表現で書いていました

でも面接などで実際に話すとき、自分の経験を聞いて腑に落ちないという表情をされる面接官もいました

しかし、とある奨学金の株主(のような人?)には「その事実は広めるべき」と言われたのでここに書かせてもらうというところに至りました

 

高校入りたてのとき、母親と大喧嘩しました

私は家を出ていき、警察に保護され、また一時保護所に保護されました

また、17になってからも親と大喧嘩をし、一時保護所に突っ込まれました

 

 

 

 

 

母子寮(現在は母子家庭支援施設という名称)とはその名の通り母子家庭の方が住んでいます

私のところはケータイOKでしたしほぼ普通の暮らしに近いですが、定期的に心理士と話す機会などがありました

色々な事情を持つ家庭がいました

個人的には信頼できる施設です

 

一時保護所、保護される施設だとお思いでしょうか

それならばそのイメージは捨ててください

あくまで私の意見ですが、ここは児童刑務所のようなものです

持ち物の持ち込みは衣服類や学習道具以外は禁止

ケータイや財布や印鑑やゲームは全て没収です

カーテンはいつも締め切られていて外にも出れない

そこらじゅう鍵だらけで監禁されている気分

食事は粗末で、集団行動が基本なので自由時間も自由ではない

この施設には0~18歳の子供がいます

受験生でも幼児でも小学生でも外の学校や保育園にも通えません

それどころか連絡すら取れませんし外の景色も空しか見えません(保護所の周りには囲いがあります)

まさに児童刑務所です

 

そもそも一時保護所とは多くの子が虐待された子ですが、なぜ被害を受けた私達が監禁されなければならないのでしょうか

親と隔離するために囲いをつくるのはわかります

しかし持ち物を没収したり自由を奪ったりするのは、何故でしょう?

このような多感な時期に閉じ込めて外の情報も与えない、触れさせない

私達子供たちは自分自身では判断ができません

所詮大人中心の社会です

何を言っても児相が絶対です

罪のない子供たちは隔離され、虐待する親達は野放し

子供からは自由は奪っていいのに、大人からは奪ってはいけないんですか?

 

近年ではケータイがないと生活できないくらいです

外へ連絡を取らないようにするため、といっても、時代がインターネットと共にある以上、ケータイを取られていては何もできません

私も保護所にいる間は何もできませんでした

財布も参考書も健康管理もすべてこのケータイにあります

それを説明しても児相の方は「あなたは保護されてる身なんだから...」と言われました

またお風呂は2~3日に1回のところが多くて毎日体がかゆかったです

部屋は一部屋に5~6人入れられることもあり自分のプライバシーなどありません

洗濯や掃除や皿洗いなどは自分でしなくてはいけません

保護?

保護というより監禁なのでは?

日に日に精神力は衰えていきます

私は「ここの人に従えば早く出ていける。抵抗したって時間と労力の無駄だ」と思うようになりました

 

その頃から児相から里親の話が出ました

しかし条件としては

・学校をやめる(一応国内でもトップレベルの進学実績の高校です)

・留年することになる(一時保護所に長い期間預けられるため)

・里親が見つからなかったらファミリーホーム(地獄です、一時保護所の拡張版のようなものだと考えてください)

と言われました

 

私は大学受験を控えており、なんとしてでも大学に行きたかったのですぐにはうなずけませんでした

 

「今まで誰よりも勉強もバイトもがんばってきたのに、虐待されてきてひどい経験もしたのに、どれだけ頑張っても報われない。それどころか虐待されたって事実のせいで可能性が潰されている。ただ必死に生きているだけなのになんでこんなに苦しい思いをしなくてはいけないのか。」

虐待された子のほとんどは思っているでしょうか

 

余談になりますが、

同じ施設にいた子供(5)がいっていました

「面談(里親候補との)はうれしい。外の話が聞けるし、あとすこししたら新しいママができるから」

 

一時保護所から出て母が迎えに来た時は「本当は寂しかったのよ。あんなことするつもりは無かった」と言われました

しかし家に帰ると虐待

虐待とはそんなものです

人はすぐには変わりません

むしろ保護される(監禁される)べきは虐待した方です

 

保護所に関わらず養護施設にいた子供たちが社会に出るのは難しいです

他の子と違い経験値がないです

そのために大人が手を差し伸べるべきです

しかし、私達は虐げられる存在です

親からも同級生からも

普通の子なら経験しないんですから当たり前っちゃ当たり前です

現に私はこの過去を話した途端、ちやほやしてくれていた教師からいじめを受けるようになりました

きっと社会にいい人はいっぱいいると思うんです

でもこのような人間がいるのも事実です

子供を救えるのは児相?親?大人?

そもそも虐待から自立までのシステムは?

虐待という事実を嘆く人はいても、虐待から自立までの過程を論ずる人はほぼいません

大人中心社会である以上、時代に乗り遅れている以上、児相に、児童に明るい未来なんてないです

子供は大人を選べません

大人は里親として子供を選べても、子供は「愛してもらいたい」「幸せになりたい」という気持ちの不安定さからもシステムからも里親を自発的に選ぶのは難しいです

里親が養子に虐待されるケースだってあります

自分から選んでもこのようなことが起こるのですから普通の家庭ならなおさらです

 

残念ながら私たち子供が社会を変えることは到底不可能です

だからこそこの場を借りてこの事実を広く知っていただきたいと思いました

 

思いつきで書いてしまったので構成としてまとまっておらず、読みにくくてすみませんでした

最後まで読んでもらえてうれしいです

ありがとうございました