児童刑務所

私は17歳の女子高校生です

これだけ聞くと華々しいように聞こえますが実際にはかなりの苦労をしてきました

これを見て気分を害されたりしたらすみません

あくまで私の経験と考えです

しかしできればできるだけ多くの方に虐待されてる子供の気持ちや児童相談所の実情を知ってほしい

忙しい方は最後の方だけでも構いません

自分の経験を述べてから考えなどを述べます

ご了承の上でお願いします

 

 

私は比較的裕福な家庭に生まれました

父は国立大医学部、母は外国からの留学と字面だけは素晴らしいものだと思います

だが、父は大学中退、母は途中から水商売とだんだん状況は悪くなってきました

 

私自身できちゃったという感じで生まれたので、最初は祝福されましたが後々父からの暴力、育児放棄と絵に書いたような虐待を受けました

父は母にも暴力を振るい、私が2,3歳の頃に出ていきました

その頃妹が生まれました

それからというもの、私と妹と父の3人ぐらしでした

私は毎日父からの暴力を受けました

殴る蹴るは当たり前、ゴミ袋に入れられてゴミステーションに捨てられたことも、風呂に沈められたことも、根性焼きも、性的虐待も、髪を抜かれたり、薬で遊ばれたりすることもされてきました

食事もいつも1日100円を渡されるか渡されないかくらいだったので、毎日パンの切れ端やコンビニのおにぎりを食べるか何も食べないかの二択でした

また私は持病がありたびたび入院することもあったのでそのときは「生きている」と実感することが出来ました

寝て起きればご飯が出てくる、当時の私にはそれが特別なことに思えました

だが病院から出ればまた虐待です

当時は父以外に話せる人もおらず、されてること自体虐待だとはわかりませんでした

子供というのは所詮大人から教えてもらった概念を自分の中に蓄えていく存在です

私には虐待が"当たり前"でした

 

小学校に入ると小学校に通わなければなりません

私は通わせてもらえませんでした

そのせいかはわかりませんが時々役所の人間が私の家を訪ねてきました

この家が私のお城、王様は父親という状態だったので出ることもできず、1日1日すぎていきました

 

父方の祖父だけは私の味方でした

祖父は私に会う度に本を与えてくれます

工学の本、宇宙の本、医学書、漢字の本、生物の本、図鑑

3歳の頃から読んでいましたが難しすぎた

しかし勉強することだけが生きがいでした

それに勉強ができると父は褒めてくれる

なぜかそのためだけに生きていました

 

さて、私が6,7歳の頃でしょうか

家出していた母が自宅へ帰ってきました

そのときちょうど私は祖父に連れられて外に出ていました

家に帰ると両親が喧嘩していました

警察も呼ばれていました

その次の日私は一時保護所というところに保護されました

ここら辺はいろいろと知ったことがあって混乱していて記憶がありません

一つあるとすれば役所の方から「あなたがされてきたのは虐待なのよ」と言われたことです

正論は狂気とはよく言ったもので、私の心を引き裂きました

おかげで保護所の中では誰とも喋らず、食べずの生活でした

 

ここで人生の転機があらわれました

保護所には大学の先生がきて、子供に勉強を教えます

当時のわたしは小学1,2年生程度

初めて人からものを教わりましたが足し算や掛け算などの四則演算、今でいう高1くらいまでの数学や理科は祖父の本のおかげでなんとなくできていました

その先生からは「君は頭がいいからきっとこの先も大丈夫だ」と言われました

 

保護所には1ヵ月ほどいました

それからは妹と母とで田舎の方の母子寮に移されました

ようやく学校へ通えるようになりました

初めての制服、ランドセル、教科書、グラウンド、やはり本で見るよりずっとすばらしい

そのことは今でも覚えています

友達もすぐできました

勉強も誰よりもでき、いつも誰かに褒められていました

そんなこんなでいわゆる陽キャラとして小学校時代を過ごしました

私の小学校では児童会というのがあり、会長も務めました

 

小6の頃、全国テストで満点をとりました

それをきっかけに私立中へ行かないかと担任から持ちかけられました

行きたいとは思いましたがなんせ母子家庭で施設ぐらしです

母にそんな苦労をかけるわけには行きません

そんなこんなで公立の中学に進みました

 

中学生の時母子寮を出て自立しました

中学も変わりました

その中学でも成績はずっと1位でした

テストはほぼ満点

漢検準1級や英検準2級をそのとき取得しました

自分でも自分を天才だと過信していました

中3の受験期、どうしても都会の私立高校に行きたくなりました

そのときから父の夢を追いかけるように旧帝大医学部を志していました

しかし現実は厳しい

お金がなくて私立の受験すらできませんでした

私は渋々県で一番の高校へいきました

この頃から母がなぜか私へ暴力を振るうようになりました

 

高校ではトップの成績を維持しながらバイトを3つ掛け持ちしました

学費を稼ぐためです

学校では禁止されていましたが仕方がありません

しかし友達からの理解は全く得られず馬鹿にされていました

 

高校も中学も様々な奨学金をいただきながら貯金してきました

養護施設出身ということもあり、そういう意味では私は貰える金額が大きかったのですが、ほとんどの奨学金が自分の生い立ちを書いたり面接があったりしました

自分のこの経験が世間から受け入れ難いものだということはよくわかっていたのでいつも当たり障りない表現で書いていました

でも面接などで実際に話すとき、自分の経験を聞いて腑に落ちないという表情をされる面接官もいました

しかし、とある奨学金の株主(のような人?)には「その事実は広めるべき」と言われたのでここに書かせてもらうというところに至りました

 

高校入りたてのとき、母親と大喧嘩しました

私は家を出ていき、警察に保護され、また一時保護所に保護されました

また、17になってからも親と大喧嘩をし、一時保護所に突っ込まれました

 

 

 

 

 

母子寮(現在は母子家庭支援施設という名称)とはその名の通り母子家庭の方が住んでいます

私のところはケータイOKでしたしほぼ普通の暮らしに近いですが、定期的に心理士と話す機会などがありました

色々な事情を持つ家庭がいました

個人的には信頼できる施設です

 

一時保護所、保護される施設だとお思いでしょうか

それならばそのイメージは捨ててください

あくまで私の意見ですが、ここは児童刑務所のようなものです

持ち物の持ち込みは衣服類や学習道具以外は禁止

ケータイや財布や印鑑やゲームは全て没収です

カーテンはいつも締め切られていて外にも出れない

そこらじゅう鍵だらけで監禁されている気分

食事は粗末で、集団行動が基本なので自由時間も自由ではない

この施設には0~18歳の子供がいます

受験生でも幼児でも小学生でも外の学校や保育園にも通えません

それどころか連絡すら取れませんし外の景色も空しか見えません(保護所の周りには囲いがあります)

まさに児童刑務所です

 

そもそも一時保護所とは多くの子が虐待された子ですが、なぜ被害を受けた私達が監禁されなければならないのでしょうか

親と隔離するために囲いをつくるのはわかります

しかし持ち物を没収したり自由を奪ったりするのは、何故でしょう?

このような多感な時期に閉じ込めて外の情報も与えない、触れさせない

私達子供たちは自分自身では判断ができません

所詮大人中心の社会です

何を言っても児相が絶対です

罪のない子供たちは隔離され、虐待する親達は野放し

子供からは自由は奪っていいのに、大人からは奪ってはいけないんですか?

 

近年ではケータイがないと生活できないくらいです

外へ連絡を取らないようにするため、といっても、時代がインターネットと共にある以上、ケータイを取られていては何もできません

私も保護所にいる間は何もできませんでした

財布も参考書も健康管理もすべてこのケータイにあります

それを説明しても児相の方は「あなたは保護されてる身なんだから...」と言われました

またお風呂は2~3日に1回のところが多くて毎日体がかゆかったです

部屋は一部屋に5~6人入れられることもあり自分のプライバシーなどありません

洗濯や掃除や皿洗いなどは自分でしなくてはいけません

保護?

保護というより監禁なのでは?

日に日に精神力は衰えていきます

私は「ここの人に従えば早く出ていける。抵抗したって時間と労力の無駄だ」と思うようになりました

 

その頃から児相から里親の話が出ました

しかし条件としては

・学校をやめる(一応国内でもトップレベルの進学実績の高校です)

・留年することになる(一時保護所に長い期間預けられるため)

・里親が見つからなかったらファミリーホーム(地獄です、一時保護所の拡張版のようなものだと考えてください)

と言われました

 

私は大学受験を控えており、なんとしてでも大学に行きたかったのですぐにはうなずけませんでした

 

「今まで誰よりも勉強もバイトもがんばってきたのに、虐待されてきてひどい経験もしたのに、どれだけ頑張っても報われない。それどころか虐待されたって事実のせいで可能性が潰されている。ただ必死に生きているだけなのになんでこんなに苦しい思いをしなくてはいけないのか。」

虐待された子のほとんどは思っているでしょうか

 

余談になりますが、

同じ施設にいた子供(5)がいっていました

「面談(里親候補との)はうれしい。外の話が聞けるし、あとすこししたら新しいママができるから」

 

一時保護所から出て母が迎えに来た時は「本当は寂しかったのよ。あんなことするつもりは無かった」と言われました

しかし家に帰ると虐待

虐待とはそんなものです

人はすぐには変わりません

むしろ保護される(監禁される)べきは虐待した方です

 

保護所に関わらず養護施設にいた子供たちが社会に出るのは難しいです

他の子と違い経験値がないです

そのために大人が手を差し伸べるべきです

しかし、私達は虐げられる存在です

親からも同級生からも

普通の子なら経験しないんですから当たり前っちゃ当たり前です

現に私はこの過去を話した途端、ちやほやしてくれていた教師からいじめを受けるようになりました

きっと社会にいい人はいっぱいいると思うんです

でもこのような人間がいるのも事実です

子供を救えるのは児相?親?大人?

そもそも虐待から自立までのシステムは?

虐待という事実を嘆く人はいても、虐待から自立までの過程を論ずる人はほぼいません

大人中心社会である以上、時代に乗り遅れている以上、児相に、児童に明るい未来なんてないです

子供は大人を選べません

大人は里親として子供を選べても、子供は「愛してもらいたい」「幸せになりたい」という気持ちの不安定さからもシステムからも里親を自発的に選ぶのは難しいです

里親が養子に虐待されるケースだってあります

自分から選んでもこのようなことが起こるのですから普通の家庭ならなおさらです

 

残念ながら私たち子供が社会を変えることは到底不可能です

だからこそこの場を借りてこの事実を広く知っていただきたいと思いました

 

思いつきで書いてしまったので構成としてまとまっておらず、読みにくくてすみませんでした

最後まで読んでもらえてうれしいです

ありがとうございました